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すぎちゃん 人物紹介:すぎちゃん
食べることが大好きな大学生。

こんにちは!
2023年も2か月が経ちましたが、みなさんはアレ観ていますか?
アレです!
2023年NHK大河ドラマ『どうする家康』です!

ここ浜松市とゆかりのある「徳川家康」の生涯を描いた作品とあり、浜松市内でも盛り上がりっていますよね!
そこで、今回は『さいが崖』についてご紹介します。

浜松市と家康のつながり

浜松駅の北口には、浜松市のマスコットキャラクター「出世大名家康くん」がいますよね。

浜松は家康の生涯にちなんで「出世の街」とも言われています。

そもそも、徳川家康と浜松市にはどのような繋がりがあるのでしょうか。

1542年に岡崎城主・松平広忠の嫡男として生まれた家康は、1568年に引間城(のちの浜松城)を攻め落とし、勢力を遠江(現在の静岡県西部、及び中部の一部)まで拡大しました。

1570年の「姉川の戦い」で勝利したことを機に、岡崎城を嫡男の信康に任せて自らは遠江の引間城に移り、城を拡大して浜松城と改めました。
浜松城は家康が天下取りの勝負に挑む拠点として築いた城ともいえます。

宿敵・武田信玄との戦いや小牧・長久手の戦いなど幾多の戦いののち、1568年には秀吉の家来となり、同年、駿府城に移ることになりました。
その後も家康は、豊臣政権の重鎮として力を蓄え、関ケ原の戦いに勝利したのち江戸幕府を樹立しました。
わずか10年で盤石な政治体制を構築し、260年にわたる太平の世の礎を築きました。

家康が29歳から45歳に渡る青壮年期を過ごした浜松は、さまざまな苦難を乗り越え天下統一への足掛かりとなる要地であったことが伺えます!

さいが崖について

ここまで、家康と浜松のつながりについて述べました。
家康の天下統一は決して楽な道のりではなかったことが分かりますよね!
特に苦しんだ戦いの一つに、「三方ヶ原の戦い」があります。 今回ご紹介する「さいが崖」はこの三方ヶ原の戦いで知られた崖です。

さいが崖は浜松城の北側約1kmにある断崖で、三方ヶ原古戦場として1939年に静岡の史跡に指定されています。
1573年の三方ヶ原の戦いで、徳川軍は武田軍に対して総崩れとなりました。
家康はその後浜松城に逃げ込み、なんとか武田軍の城攻めを免れることができました。
このままではいけないと、家康は一矢報いようと武田軍を急襲しました。
地理に詳しくない武田軍は当時さいが崖近くで野営しており、急襲により混乱して崖に転落して多くの死者を出したとされています。

三方ヶ原の戦いの後から夜更けになるとさいが崖の谷底から人や馬のうめき越えが聞こえ、付近でけが人が続出したことからさいが崖の祟りとして恐れられました。
次第にこの祟りを鎮めるために、大念仏が行われるようになり、現在でもさいが崖では毎年7月15日に支社の例を慰めるために遠州大念仏が行われています。

犀ヶ崖資料館に行ってみた!

このような歴史を持つ「さいが崖」ですが、現在は資料館が建てられており、当時の様子を知ることができます。

館内の様子はこんな感じ↓

三方ヶ原の戦いの様子を立体絵巻や模型で知ることができます!
また、装飾瓦や刀など当時の貴重な品を実際に見ることも可能です!

資料館の外には、今も残るさいが崖と展望台があります。

緑に囲まれており、お散歩にもぴったりです。

最後に

さいが崖は、緑に囲まれておりこれからの季節おでかけにぴったりなスポットです。
また、交通の便が良いのもポイント!最寄りのバス停は目の前にあります!
この機会にぜひ「さいが崖資料館」に行ってみてくださいね
犀ヶ崖資料館
住所 静岡県浜松市中区鹿谷町25-10
地図
営業時間 9:00~17:00
定休日 月曜日
電話番号 053-472-8383
リンク 公式ホームページ