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浜松まつりの歴史

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浜松まつりとは

初子の誕生を祝い、子どもたちの健やかな成長を願って、地域みんなで祝いあうもの。 昼間は中田島砂丘にある遠州灘海浜公園の凧揚げ会場を舞台に子どもの誕生を祝う初凧が揚げられ、どこの組よりも高く揚げられるよう凧揚げ合戦が繰り広げられる。 夜は市の中心部が舞台になり、綺羅びやかに輝く御殿屋台が幻想的な空間を作りあげる。 また、各町内ごとに初子宅を廻り、お祝いの練りをしたり料理を振る舞ったりと組全体で初子の誕生を祝う。

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浜松まつりの歴史

室町時代の永禄年間(1555年 – 1569年)に、現在の浜松城の城主であった、飯尾豊前守(飯尾連竜)の長男・義広の誕生を祝って、入野村の住人であった佐橋甚五郎が義広の名前を記した大凧を揚げた、という史書『浜松城記』の記述を定説としていたが、現在ではこの定説も定かではない。 現浜松市の市域において、端午の節句に凧を揚げることに関する最古の資料は、現:浜松市東区有玉台在住の国学者・高林方朗(みちあきら)の日記で、寛政元年(1789年)4月に初凧を購入したという記述が確認されている。

江戸から明治へ、更に本格化する「凧揚げ合戦」

写真提供:浜松観光コンベンションビューロー

江戸時代の中期には、浜松だけでなく日本全国で行われていた端午の節句に祝凧を贈って揚げるという風習。 明治に入り初凧の習俗は「時代遅れなもの」として次第に行なわれなくなってしまうが、明治7年頃に浜松の職人町に消防組が組織されると各町の若者同士の対抗意識が高まり、町同士による凧合戦が行われるようになった。 消防組の影響は参加各町を組で表すことや、古くから参加している町の凧印には纏を図案化したものがあることが現在の浜松まつりにも影響しているのではないだろうか。 現在では、「浜松まつり」には欠かせない凧揚げですが、本格的に行われるようになったのは、明治20年頃。 当時は、長男が生まれたらその子の成長を願い初凧を揚げるというものだったが、現在では長男でなくても生まれてきた子の成長を願うという意味で、男女関係なく初子を祝うところが多くなってきている。  

凧揚げ場所が中田島へ移るまで

写真提供:浜松観光コンベンションビューロー

各町あちこちの広場で行っていた凧揚げを一か所にまとめようという動きが出始める。 最初は、数組以上が集まって凧揚げ合戦が行われていた場所として田町の大安寺・法雲寺、北寺島町の機関庫建設予定地、伊場の鉄道工場建設予定地(現在のJR東海浜松工場)などで行われており、その後大正7年からは和地山の練兵場(現在の和地山公園)に一本化された。 第二次世界大戦が始まり一時中断していた時期もあるが、昭和23年には一時的に「中田島」へ会場を移し、浜松市連合凧揚会主催で第1回の凧揚げ合戦が、50か町余の参加を得て開催された。 そして、昭和25年には市民あげてのお祭りにとの願いを込め、正式名称が「浜松まつり」と定められた。 当初、50か町余の参加だった凧揚げ合戦も、現在では170を超える組が参加。御殿屋台は、80を超える組が参加している。
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